仏教美術

村松の虚空蔵尊

「十三詣り」


 2006年の初詣は東海村・村松の虚空蔵尊に行った。1月6日と初詣としてはやや遅いのに参詣客は多い。村松の虚空蔵尊にははるか昔、小学校の6年生の春の遠足で「十三詣り」で来たことがある。
 寺の縁起によれば『村松山虚空蔵堂の創建は平安初期大同二年(八〇七)に弘法大師が、鎮護国家と萬民豊楽、平和祈願の為等身座像の虚空蔵菩薩を一刀三拝の礼をつくしてお刻みになった』とある。しかし、空海が常陸の国に来た事実は無い。本寺は真言宗なのでこのような縁起になったものと思う。本尊の虚空蔵菩薩像は平安初期に作られたことは事実であろう。しかし、幕末の大火で焼失し現在の本尊・虚空蔵菩薩像は明治以降に作られたものらしい。

 虚空蔵菩薩は奈良時代以来、求聞持法の本尊である。求聞持法とは記憶力を増すために行う修行で、一度聞いたことは決して忘れない記憶力を得るという。この辺が「十三詣り」が生まれた理由かと思う。

 本尊を拝観することはできなかった。しかし、本堂には虚空蔵菩薩の額が掲げられていた。不鮮明な絵であるが、右手に剣を持ち左手に宝珠を掲げる虚空蔵菩薩の絵である。剣は智慧を、宝珠は福徳を象徴する。本尊は多分この絵のような形をしていたものと思う。
 

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神社と共存する虚空蔵尊


 寺の山門と伊勢神宮の分霊を奉斎した村松皇大神宮の鳥居が並んでいる。寺と神社は元来一体であったと思うが、明治初期の廃仏毀釈の嵐にも耐えてきた。
 

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会津・柳津の虚空蔵尊と村松の虚空蔵尊


 村松の虚空蔵尊は会津・柳津と伊勢朝熊山と共に三大虚空蔵尊となっているという。会津・柳津と村松の虚空蔵尊にはいくつかの共通点がある。
(1)どちらも平安初期に開基された名刹で1200年間法灯は続いている。会津・柳津の虚空蔵尊は最澄・空海と並ぶ平安初期の碩僧・徳一によって開基された。村松の虚空蔵尊を開基したのは最澄の弟子・慈覚大師という説もあるが明確でない。庇護したのは平安期から安土桃山時代までは佐竹氏、江戸時代になると徳川家康や水戸徳川家であることが寺の説明板に記してある。この説明板に光圀は巨額の財を投じて、境内の伽藍の美の一新を進める一方、佐竹系の僧侶を嫌忌し真言宗日高寺を廃止した、という説明があった。
(2)「十三詣り」の風習がある。近郷近在の子供は十三歳の厄年に、厄を払い知恵を授けて開運出世を守る虚空蔵尊に参拝するという古くからの風習である。
(3)会津・柳津の虚空蔵尊のの境内には大きな牛の像がある。因みに「アカベコ」の張子の牛の玩具の発祥地は同寺といわれている。村松の虚空蔵尊の本堂の屋根には大きな牛が乗っている。虚空蔵尊と牛の関係は分からない。
(4)我が国屈指の発電のメッカである。:会津・柳津の虚空蔵尊は只見川沿いの風光明媚なところに立っている。只見川を利用した水力発電は我が国でも木曾三川系と並んでトップの座を誇る。
 そして、村松の虚空蔵尊は東海原発・東海第二原発や原発核燃料サイクル開発機構の東海再処理施設に隣接して原子力発電のメッカである。虚空蔵尊の「智慧」で事故のない発電を祈りたい。
 

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